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 「お屋敷でしたらあちらです」
 お寺の門前をホウキで掃いていた小坊主は、右手をまっすぐに龍造寺悟の背後へと伸ばした。
 龍造寺は意味も解らず首をかしげた。
 「ですから――向かいの山の頂上です」
 「向かいの」
 「山」
 龍造寺悟と大神涼子は顔を見合わせた。
 「山を間違われてしまったんですね」与田と名乗ったにきび面の小坊主はにやにやと笑った。
 「ふもとまでは、どちらの山に向かうにも同じ道なんですよね。でも途中に大きな看板が立った分かれ道がありませんでしたか? あそこで左に行くと向かいの山、右に行くとこちらの山につながっているんです」
 「いかにも右へ行った。右へ行ったとも」えたりとばかりに龍造寺はうなずいた。大神は思いきり顔をしかめた。
 「所長……さすがに呆れました。どうしてそんなことを忘れられるんですか」
 「いやあ、大神君。なんというか、はははは」龍造寺は笑うしかない。笑いながら天を仰ぐと、気の早い一番星がまたたき始めた夕空を黒雲が覆い尽くしつつあった。
 「一雨来そうだな」龍造寺はひとりごつ。
 「来そうですね」与田はのんきに応じた。
 「このへんに雨宿りできる場所はないかな」龍造寺は探りを入れた。
 「このお寺以外にはないでしょうねえ」与田はとぼけた。
 「こちらに泊めてはいただけませんか」大神が焦れて単刀直入に言った。
 「さあ……ちょっと聞いて参ります」与田が寺の中に去ると、大神は龍造寺をにらみつけた。
 「鉄鼠寺か。『てっそじ』とでも読むのかな」龍造寺は素知らぬ顔で、門にかけられた扁額を読んでいた。



 鉄鼠寺の2人の僧侶はこころよく一夜の宿を貸してくれた。 
 「それは災難でしたなあ。まあひとつどうぞ」手ずから酒を勧めるのが山根炭心。飲む前からネズミのような細い顔を赤らめている。まるで化粧回しのように金色に輝く派手な袈裟をまとっていた。よく見ると背中いっぱいにもろ手をさして組み合う力士が刺繍されており、本当に化粧回しを作り直したものなのかも知れない。
 「災難ではありません。所長が迷っただけです」手酌を傾けながら大神は冷たく言った。
 「まあまあそう怒りなさんな」スルメをかじりながら由比鉄心がなだめる。山根とは正反対のがっしりした体つきで、だらしなく開いた襟元からのぞく首などは丸太のように太い。彼は袈裟ではなくピンクのポロシャツを着ていた。山根も由比も龍造寺と同年配である。
 「それにしてもいい飲みっぷりのお嬢さんだ。ほらほらもっともっと」
 「いやですわ。私、お嬢さんなんて年齢じゃありません」まんざらでもなさそうに笑う大神は最も杯を重ねているはずなのに、顔色一つ変えていなかった。
 「ところでこのお寺には3人しか住んでいられないのですか」大神の機嫌が好転したのを幸い、龍造寺は話を変える。
 「3人だけです。親父の代の頃は弟子もたくさん取っていましたがね」由比鉄心はふと遠くを見るような目になった。「我々はご覧の通り、酒は飲むわギャンブルもするわの不真面目な坊主なもんで。その与田も弟子というか小間使いのようなもんですし」
 酒が飲めない与田は麦茶を飲みながら手持ちぶさたに携帯電話をいじっている。龍造寺は21世紀の僧侶の現実をかいま見た気がした。
 「だいたい人に教えようにも、こいつはお経もろくに読めやしませんわ」山根が由比を指さした。
 「この前うちで葬式をあげたときも、こいつときたら肝心の経文をど忘れして、なんとテ」
 「黙れ黙れ」由比は分厚い手を振り回して山根の声をさえぎる。「お前にそんなこと言われたくないぞ。先月なんか結婚式に呼ばれて神父をやったそうじゃねえか」
 「神父も僧侶も似たようなもんだろ」山根がとんでもないことを言った。「神父も僧侶も突き詰めれば人助けなんだよ。お客様が喜んでくれるなら俺は神だろうと仏だろうと拝んでやらあ」
 「なにを心にもないことを」由比はせせら笑う。「人助けとは大きく出たもんだ。お前は金儲けのためにやってるんだろうが。夜な夜な金庫に隠した札束を数えるのが趣味のくせに」
 「なんだと。いくら金のためだろうが人の役に立ってるだけマシだろ。お前なんか最近は蔵から出してきた訳の解らない経文をありがたいありがたいと拝んでるじゃないか。あの薄気味悪いお経が寺の前まで流れてるから、ここのところお客もろくに来ないんだよ」
 「ヰタケノホ様のありがたい経文を薄気味悪いとは何事だ!」なんかすごい名前が出てきた。
 「ヰタケノホ様を馬鹿にすると恐ろしい祟りがあるぞ!」
 「そんな意味不明の神なんか怖いものか。こっちには神様と仏様がついてるんだぞ」
 「黙れこの破戒僧!」
 「うるせえこの暗黒司祭!」
 山根と由比はつかみあう。というか体格に勝る由比が山根の胸ぐらをつかみぐらんぐらんと揺さぶっている。与田は争いに慣れっこなのか携帯電話から目を離さない。大神は4本目のビールを空にしている。
 「やめなさいやめなさい」龍造寺が止めるしかなかった。
 「徳の高い僧侶様がケンカなんてみっともない。ほら、仏様も呆れてますよ」龍造寺は柔和に微笑む仏像を指さした。恐るべきことにこの僧たちは仏の真ん前で酒盛りとつかみ合いをしているのだ。
 「もう我慢ならん!」由比鉄心は地団駄踏んで叫んだ。「お前なんかヰタケノホ様の力で呪い殺してくれるわ!」
 「呪い殺す――」物騒な言葉にぎょっとする龍造寺をよそに山根は爆笑した。
 「できるもんならやってみろ。馬鹿らしい、俺はもう寝るぞ」山根はわざとらしくあくびをした。懐からなにかが転げ落ちる。龍造寺が拾い上げたのは鍵だった。
 「おっとすんません」山根は素早く鍵を奪い取り、そそくさと仏間から去っていった。
 「金庫の鍵ですよ。いつも肌身離さず持ち歩いてるんです」由比が冷たく言い捨てた。「あの破戒僧め。守銭奴め。ヰタケノホ様の力を思い知るがいいわ」
 由比は仏像に向かって正座すると、桐の箱からうやうやしく巻物を取りだした。真っ黒な装幀であちこち虫食いだらけの古そうな経巻である。それを罰当たりにも仏前で広げ、なぜか仏像に向かって読み始める。
 日本語か外国語かも判然としない言葉の連なりだったが、聞いているだけで胸の悪くなるような、まさしく薄気味悪いお経だった。お経というよりも呪文といった方がしっくりくる。これなら本当に呪い殺せるかもしれないと龍造寺は思った。
 「こんなの聞いてたら悪酔いしそうだわ」大神が頭をおさえて言った。
 「お客様方もお休みになりますか」大神には愛想の良い与田が立ち上がる。「仏間の左右の部屋だけは綺麗にしてありますので、そちらにお布団を敷いてあります。どうぞお休みください」
 大神が北の部屋、龍造寺が南の部屋を使うことになった。与田はどこで休むのかと聞くと、部屋はないからいつも仏間で寝ているという。
 「ここで――寝られるの?」経巻を畳に広げ、それに向かってイスラム教徒のように拝礼を続ける由比を横目に、大神は気の毒そうに聞いた。
 「ええ。慣れてますから」与田は平然とした顔でiPodを取りだした。

 呪文は一晩中途切れることなくつづいた。



 夜が明けてもまだ呪文はつづいていた。一睡もできなかった龍造寺は寝床をはい出て、そろそろとふすまを開いた。すると、仏間を挟んで向かいの部屋の、ふすまの隙間から同じく顔を覗かせた大神と目があった。所長眠れましたか、と唇が動く。龍造寺は首を振り、意を決して仏間に乗り込んだ。由比は一心不乱にヰタケノホ様の慈悲にすがる呪文を唱えている。仏間の隅ではイヤホンを耳に入れた与田が熟睡していた。
 「由比さん。由比鉄心さん」龍造寺はおそるおそる肩を叩いた。血走った目の由比が振り返った。
 「おお、龍造寺さん。もう朝なんですな。よく眠れましたか?」 
 「ええ、まあ。泊めていただきありがとうございました」絞め殺したい衝動を抑え龍造寺は大人の対応を見せた。呪い殺せましたか?と聞き返したいのをどうにかこらえる。
 「おい与田、起きろ。朝食の準備をしなさい」由比が与田を揺り起こす。イヤホンを外すとデスメタルが漏れ出てきた。
 「ああ、もう朝ですか。どうですか、呪い殺せましたか」与田はあっさり聞いた。
 「ふん。そんなことよりさっさと朝食を作りなさい。あと山根を起こしてくるんだ」
 「はいはい」
 与田は頭をかきながら仏間を出ていく。その背中を見送りながら、大神は「変ね」とつぶやいた。
 「どうしたんだい大神君」
 「いえ、ちょっとしたことなんですけど、だって――」
 大神が言い終わるよりも前におなじみの絶叫が響きわたった。床を踏み破らんばかりの勢いで与田が駆け戻ってきた。
 「や、や、や……山根さんが死んでます」



 山根炭心は自室で息絶えていた。死因は胸に深々と突き刺さったナイフ。金庫がこじ空けられ中身が消えていたことから物取りの犯行にも思えたが、奇妙なことがいくつかあった。
 まず山根の部屋は雨戸が閉められ鍵もしっかりと掛けられており、なんら細工の跡はなかった。窓から誰かが侵入した形跡は一切ないのだ。
 またなぜか床にはバラバラに切り刻まれた袈裟が散らばっていた。酒盛りの際に着ていたがっぷり四つに組んだ力士の袈裟である。着ていた袈裟をはぎ取られたらしく、山根は下着だけの姿だった。
 そしてなんといっても不可解だったのが――。
 「これはいわゆる密室状況ですね」薄化粧こそしていたが寝不足で真っ赤な瞳の大神が言う。
 「私も所長も一晩中まんじりともせず、仏間にいた由比さんの呪文――じゃなくてヰタケノホ様のお経を聞かされていました。その間、私たちの泊まっていた部屋を通った人は一人もいません。仏間から行けるのは私たちの部屋と山根さんの部屋だけです。つまり山根さんの部屋に行くには、必ず仏間を通らなければいけないのです」
 外部犯の犯行だとしたら、仏間の両脇を固めていた探偵コンビの部屋を通らなければならない。しかし龍造寺も大神も昨晩は一睡もしていなかった。またそれは同時に一晩中、呪文を唱え続けていた由比のアリバイも証明している。由比の呪文は一度も途切れることなく朝までつづいており、席を外してはいない。第一、由比はヰタケノホ様の経文を誰にも見せないほど大事にしていて、あんな呪文を唱えられる人間は他にいないのだ。
 「誰も俺のうしろは通らなかった。いくら俺がヰタケノホ様に祈るのに夢中だったとしても、誰かが通れば必ず気がつく。ヰタケノホ様と仏に誓って、誰も仏間を通らなかった」
 「すると――」たがいにアリバイを保証された3人の目は、自然と第一発見者へと向かう。
 「ほ、僕じゃありませんよ」与田は小刻みに両手を振り回した。
 「そりゃ僕は仏間で、それも由比さんの背後で熟睡してましたよ。イヤホンで音楽聴いてましたから、誰かが通りかかっても解らなかったでしょう。さっきも起こされるまで朝が来たのも気づきませんでしたし。でも考えてみてください。もし僕が犯人だったとしたら、そんな危ない橋を渡りますか? 由比さんの背後でそっと部屋を抜けだしたとして、由比さんに気づかれないとは限らないし、首尾良く部屋を抜けだして山根さんを殺せたとしてもですよ、由比さんがたまたま振り返って僕がいないことに気がついたら、一発で犯行がばれちゃうじゃないですか」
 与田の見かけによらない論理的な反駁に3人とも押し黙った。
 「しかしそれでは困ったことになる。犯人がいなくなってしまうじゃないか……」由比が絶望したように天を仰いだ。

 ――そのとき龍造寺悟は推理の女神が耳元で囁いたように感じた。
 「そうか……解った。解ったぞ!」
 突然の絶叫に呆気にとられた3人に向けて、龍造寺は短く太い指を突きつけた。
 「犯人はあなただ!!」





 さて、ここで謹んで読者に挑戦する。
 犯人は誰か?
 いかにして犯人は密室を破り山根炭心を殺しえたのか?
 この謎は論理的に解くことはできない。真相はこれまでのバカミステリのようなバカトリックである。
 しかし誰もわざわざ小説にしないような、バカな真相を思いつければ――答えにたどりつけるかもしれません。
 そんな物好きな方がいることを祈って、今回も推理を募集したいと思います。
 バカな真相に怒らない、こんな駄文をわざわざ読んでくれる心の広い方は5月13日23時までに、下記メアドまで推理を送ってください。

締め切りました

※迷惑メール対策のため、メアド中の「あ」を「@」に変えてお送りください。

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